インターネットと一貫性
インターネットが人間に要求する一貫性には過剰なものがあると思う。
- 口調
- 友人や先輩への態度
- 付き合う人
- 他人からのイメージ、etc
- (その時の, 書物や他人に影響されたかもしれない) 意見
- 期待や目標
映画の感想のメモから新年の挨拶まで、それらをすべてタイプして世に公開するという行為そのものが、将来にわたるそれらの内容との一貫性の担保という鎖で人間を縛る。
ぼくがインターネットから期待を受けているように錯覚しているだけなのだろうか? でも、少なくともぼくはそう錯覚しているし、周りの人を見てみても、(しばしば現在する世界においても) 過去にインターネットで表明してきた態度に縛られた行動や言動をしているようにみえることがある。