ぜんぶなんとかなる

ふしみの雑文

水位差の話

ダムが水位差を電気に変えるように、ビジネスは世界の水位差を価値に変える営みだ、とう話をどこかで聞いたことがあって、そのとき僕はすごく腑に落ちたのを覚えている。

文化、モノ、技術、それらの水位差がまったくない状態からは何も生み出すことはできない。アジアの人件費が安い国で作った食料品や衣類を日本に輸入して儲けるビジネスもあれば、ブランド力(これも文化だ)と「縫製の質の高さ」なんてよくわかんない指標で国産の高い服を売りつけるビジネスもある。ビジネスモデルというのはつまり、どうやって水位差を作り出すか、というポンプの仕組みを指しているわけだ。

上にくみ上げるポンプがなければ、水は下に向かって流れていく。当たり前のことだけど。波のように一時的に高低差ができることはあっても、水が流れてしまえば平らな水面に戻る。生きていくためには、常に高いところにある水を探し続けるか、自分の中にポンプを作りだすか、そのどちらかしかない。

「知識」「情報」は、高いところから低いところに流れていく速度が早い。コモディティ化したスキル(「教科書」があり、それを読めばカンタンに習得できるスキル)も同じ。粘性が低い(?)と表現したらいいだろうか。

いま働いているIT業界は、「情報」「情報を扱うスキル」を売りにしている業界だ。正確には「そうだった」というべきで、昔はこの二つの「水位差」だけを会社のエンジンにしている会社はいっぱいあったらしいが、今はほとんどなくなってしまった。

たとえば、「Webサイトを作る技術」は急激にコモディティ化してしまった。ブログやTwitterWordpressの普及で「そもそもWebサイトを作る必要がなかった」人たちは満足してしまったし、そもそも世界全体の「ITスキル」はぐんぐんと上昇していて、スキルを持つ人たちも過剰に社会に溢れるようになった。

みんな「コンピュータはカネになる」と気づく前なら、そこには大きなダムがあり、水位差があった。そこに気づいたのがアップルであり、IBMだった。しかし今では、「プログラミングができるだけの人」は世界に溢れている。

そしてもうひとつ、他の業界と決定的に違うところは、IT業界には「国境というダム」がほとんど存在しない。

クルマや家具や衣服は国によって流通が異なるし、人々の好みも異なる、農産物や水産物は関税によって守られている。流れていく水を引き留めるダムがある。防壁があるからこそ、その防壁を乗り越えて輸出入することで、水位差をエネルギー(価値)に変えることができる。(ヨーロッパに行くと、そこらへんのおばちゃんがBMWやベンツにフツーに乗っていることに驚く人は多いけど、日本車は海外で驚くような値段で売られていることを知る人は意外と少ない)

だけどIT業界は基本的に国境がない。いや、あることはあるけど、他の世界のダムの高さに比べるとないも同然だよね。ぼくたちはアメリカのサーバにあるtwitterfacebookのサーバに、mixiGREEとほぼ同じスピードでアクセスできる。人材においても、ITは「英語の業界」で、基本的にある程度以上のレベルの技術は英語ができないと習得できない。その分、海外から/海外への参入障壁がものすごく低い。情報や知識の流出入が早く、水位差が低いから、そこからエネルギー(価値)を取り出すことができない。極端な話、水たまりにダムを作っても発電することはできないのだ。

そういう今を、ぼくたち日本人が生きるためにはどうすればいいか?

もちろん簡単な問いじゃないし、僕たちがこれから答えを見つけていかなければならない題材なのだけれど、僕には、ぼんやりとした2つの方向性が見えている。

「水たまりから発電する方法(イノベーション)を見つける」方法と、「根に水を蓄えてくれる森(文化)を作る」方法。前者は短期的、後者は長期的な視野。

どちらも必要だし、どちらかが欠けていれば、日本は凡庸な国のまま終わっていく。ダムとポンプを作れた国は勝つ。作れなかった国は「作れる国」のコンテンツや文化を消費するし続けるかない。

ところで、ダムはすごくカッコいい。あんまり感じたことはなかったけど、さいきん本屋さんの写真集のコーナーでダムの写真集を見つけて、ダムに行ってみたくなった。

macでsvgファイルをpng,jpgに一括変換

svgはQuick Lookでは開けるのに、プレビューで開けないし、イラレは一括変換できないし、取り回しがめんどくさい。

rsvg-convert を使えば

fushimi-ryohei:~ ryohei$ sudo port install librsvg
fushimi-ryohei:~ ryohei$ rsvg-convert -w 600 hoge.svg > hoge.png

(-w 600 で横幅指定)

一括で変換するには、for in ; ; done を使って

for i in `ls *.svg | sed ‘s/.svg//g’`; do rsvg-convert -w 600 $i.svg > $i.png; done

でok。

g91という現象と、高専confという制度についてメモ

91-confやg91のグループ、すごい良い試みだった (敢えて過去形) と思う。実際岡山の田舎にいたときから全国の面白い高校生たちと繋がれたし、それで人生変わった感すらある。と同時に、こんなオモシロ高校生たちが徒歩圏内で生活している東京の高校生を羨んだ。ネットの発達で隠れがちだけど、中高生にはまだまだ地域の格差は大きい。

でもお世話になっただけに、なんだか下の世代に引き継がれてないのがもったいないような気がする。いや、まあ実際に同じような仕組みが作られているのかもしれないけど、名前が名前だけに、こっちで培ったノウハウや仕組みや人の繋がりとかは全く引き継がれず、g96 (仮) はイチから用意する必要がある。そういう意味では残念ながら今のとこ、g91は仕組みではなく現象でしかない。

とはいえ永続的な仕組みには往々にして澱が溜まりがちなので、「5年ごとに解散作り直し」というのは無くは無いけど、にしても勿体ない。実際にこういうウネウネした集まりをいま必要としているのは、いま高校生くらいまでの子たちだと思うんだけども、いま、そういうコミュニティはどこにあるんだろうか。ないんだろうか。

その点、高専confとかは仕組みとして、よくできてると思うし、やっぱり学校というインフラを巻き込んだ仕組みを作ることはできたのは強い。ただ田舎の普通科高校では巻き込むの難しいし、どうしようかな、という話。

ただそもそも、すでにインターネットそのものが面白くて仕方がない時代は終わったし、g86はもうインターネットじゃない別のどこかで起こるんじゃないかという気もしてきたし、g91的制度がネット空間に永続して一期生がドヤるというのも気持ち悪いし、必要なのかは何かまだいま想像できてない。

書籍「ゼロからはじめるenchant.js入門」刊行

2月18日に書籍が刊行されました。

アスキー・メディアワークスさんの「ゼロからはじめるenchant.js入門」という名前の書籍で、開発に携わっているenchant.js というライブラリを使った、ゲームを入り口とした初心者向けプログラミング入門本です。執筆や編集に少しだけ関わらせていただいただけなのですが、ご好意により表紙に名前を載せて頂きました。

ありがたいことに多くの方々に話題にしていただき、特にネット書店を中心に売り切れが相次ぎ入手しにくい状況が続きましたが、現在は在庫も復活し安定して入手できるようです。

ちなみにこの書籍は申し込みがあった学校・教育関係者には無償で提供されます。詳しい条件などはこちらをご覧下さい。

http://wise9.jp/archives/6763

ちなみに、CQ出版さんから出ている雑誌「トランジスタ技術」の別冊「トラ技Jr.」にも連載をしています。こちらも本誌の添付されているほか、高専を中心に無料配布されています。詳しくは以下のリンクをご覧下さい。

http://toragi.cqpub.co.jp/tabid/512/Default.aspx

学校は普通科の公立高校で、特にプログラミングに触れる機会もなかったので、周りの大人達がこういったプログラミングを学ぶ生徒を応援する試みを多く行なっているのには素直にいいことだと感じます。

あとで文章にまとめようと思ってるのですが、「プログラミング教育」はここ最近関心を持って関心を持って情報を集めている分野で、これからもいろいろやっていく予定です。

情報学環教育部研究生という制度について

今日は、新しく入学することになった情報学環教育部研究生のガイダンスがあった。そこで教育部長の水越伸先生より、教育部研究生の制度のおこりについて面白い話を伺ったので、メモを元に起こしてみる。

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1929年、東京大学文学部の片隅で、日本中ありとあらゆる新聞を取り寄せて研究している学者がいた。

彼の名前は小野秀雄。当時、日本の大学のどこを探しても、新聞だけを研究する学者はいなかったのだが (いわゆるメディア論の起こりは早くて1950年ごろであることを考えると、かなり早い登場だ)、彼があまりに頑張って研究を続けているものだから、周りの教員たちや、財界・新聞界の名士たちも彼の研究に注目し始め、新聞研究室という組織が作られた。

ちなみに、マクルーハンの登場は1952年、最近話題になった梅棹忠夫の「文明の生態史観」「情報の文明学」は1957年である。

当初の新聞研究室は文学部・経済学部・法学部から教授が1名ずつ、さらに指導補助が1名、研究員が3名という非常に小規模なものだった。

第二次世界大戦が終わった1946年、GHQから、東京大学にジャーナリズムスクールを設立するように圧力がかかる。同時期に1949年に「新聞学研究所」が設立される。50年に、「教育部研究生」の制度が設立され、今のような形の学生の受入が始まる。

「新聞学研究所」といっても、この時点ですでに「新聞学」は単なる「newspaper」を離れた「press」という現象を広く扱っており、規定でも「新聞及び時事についての出版、放送又は映画に関する研究、並びにこれらの事業に従事し、又は従事しようとする者の指導及び養成」と明記されている。

しかし1951年、学制改革が行われ、「大学」「大学院」「研究所」という組織がきっちりと定義されることになった。「大学院」は研究者が在籍すると共に、研究者を志す学生を受け入れる組織、「研究所」は学生を受け入れない組織ときっちり規定された。

当然、「新聞学研究所」で学生を受け入れているのはおかしい、という声も上がったが、これから立ち上がろうとしていた矢先の上からの改革ということもあり、抵抗の声が上がった。結局「ケンブリッジやハーバードなどの有力な大学はすべてアメリカ建国以前から続くもので、いまの憲法の起こりより早い。だから大学のあり方が憲法や法律と少し噛み合わないところがあっても社会的には許されている。新聞学研究所も、学制改革より前からある制度なのだから良いだろう」という論理のもと、「研究所」でありながら学生を受け入れるというスタイルは貫かれた。

この結果、「新聞学研究所」は、日本に数ある「研究所」の中でも研究生として学生を受け入れている唯一の組織として残り、ジャーナリズムやメディア研究を志す学生たちを養成し続け、新聞・放送・通信・広告などのジャンルで数々の著名人を輩出した。

1992年には、新聞学研究所は社会情報研究所と名前を変え、2000年に設立された情報学環と2002年に吸収合併し、学生の受け入れは「東京大学大学院 情報学環 教育部研究生」と名前を変えて続けられた。

いまでも東京大学にある教育機関の中でも独立性が高い。また、大学院と異なり単位を取得し修了しても修士号の取得はできない。大学と大学院、研究所という研究・教育の体制からすれば「亜種」としての状態が長く続いていたが、その分、他の制度と切り離された自由度の高い運営が続けられている。

今年度より、質実剛健というテーマで制度の改革が行われ、年限ごとに最低単位取得数が設けられたほか、定員も50人から30人に削減された。

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というわけで、入学してからその教育機関の詳しい歴史を知ることができてとても面白かった。

入学するまでは、制度的にもよくわからないところ、先輩にも多様な人材が揃っていることも相まって、正直なんとなく胡散臭い印象を受けていたのだが、この説明を受けて気が変わり一気に「面白いな」と思うようになった。

今学期の履修は1コマのみなので、あまり深く関われるかどうかは分からないが…。面白そうな講義も多いので、ゆっくり頑張って修了したいと思う。

参考リンク:

旧・社会情報研究所|東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 東京大学大学院情報学環教育部 – Wikipedia

プロフェッショナルとエンハンスメントの話

「プロフェッショナルとは何か」というテーマで、駒場に新設される統合自然科学科の教授と議論をする機会があったのでメモ。「統合自然科学科発足記念 サイエンス・カフェ」というイベントで、ケーキを食べながら新設学科の担当教員たちと話せるというもの (pdf)。来場者はだいたい30人くらいで、この議論は4人の教授全員が参加し、合間に学生からの質問や意見などをはさみながら進んでいった。

まず議論の最初に、スポーツ・音楽・知能について研究している各教授から、それぞれの研究の紹介があった後、石浦教授による「『プロフェッショナル』とは一般に『時間をかけて一つの物事に取り組んでいる人』という認識が形成されており、脳科学的に見ても神経回路の最適化が起こる時間のスパンは非常に長いためこの認識はおおむね正しい」という視点が提供された。

ここまでは非常にベーシックな議論だったのだが、石浦教授からゲノム解析や遺伝子治療の最先端について紹介されたのち、学生からの質問があって「遺伝子解析の結果分かった予測を元に治療を進められるのか」という話題になった。ぼけ防止の薬というのは、20代〜30代で進行している自然なぼけの進行をストップさせる可能性が高い。では、自分が比較的早期にボケると分かった人に、早期治療のための薬を渡してもいいのかどうか。

アメリカでは「リタリン」という薬が一般に入手できる。これはドーパミンを大量に放出する作用のある薬で、実際に試験の前に学生が服用するという事例がいくつかあるとのこと(広まっているのかどうかは不明)。ただし、脳内のドーパミン量は拮抗作用によって制御されているので、服用をやめるとドーパミンの生成が強く抑制される反動がある。

例えばコーヒーやレッドブルなど、食品のなかに自然に含まれている成分で自分を覚醒させるという試みは古くから行われている。こういった薬理作用を用いたエンハンスメントというのは、(一般には)拮抗作用の結果実現している平衡を崩すことになり、副作用が発生しやすい。コーヒーの飲み過ぎが良くないのと同様に、より強い作用を持つ薬は強い副作用がある可能性が高い。プロフェッショナルたる研究者高いモラルを持ってこれらを扱わなければならない、という話でいったんは落とし所がついた。

ここから学生から「ここまでの議論はエンハンスメントには副作用があるという前提で進んでいたが、エンハンスメントがない薬が発明された場合、それは人類の役に立つから広めるべきということになる」という指摘があった。

エンハンスメント一般の話に発展しそうだったので、一つの事例として、「義足をはめて走るパラリンピック選手が、オリンピックの参加標準記録を超える成果を出すことがある」という事例を紹介してみた (オスカー・ピストリウス)。では、そのパラリンピック選手は、オリンピックに出場しても良いのか? それでは、早く走りたいと技能を高めていたオリンピック選手が、生まれ持った足を捨てて義足を付けることを選ぶこともあるかもしれない。この場合はどうすればいいか?

義足は極端な例ではあるが、すでに自分の体を技術によって拡張するということは行われている。レーシックのように体の一部を傷つける手術も行われ、場合によっては生まれ持った視力よりも良い視力を得ることすらある。レーシックを受けた選手がオリンピックに出場するのは何ら問題がない、という暗黙の合意があり、実際に出場している選手もいるが、義足の場合はどうだろう。

さらに議論のフィールドは広がる。特に薬理的なエンハンスメントに限れば、スポーツにおけるドーピングはモラルに反するという合意がなされているが、ここで酒井教授から、チェスの大会で心臓の薬を服用していた選手がドーピング検査に引っかかるという事例が紹介された。身体的なスポーツだけではなく、マインドスポーツと呼ばれる分野でもすでに薬理的なエンハンスメントとモラルの問題が実際に発生している、ということだ。

スポーツ科学専攻の工藤教授からは、スキージャンプの競技でも、スキー板によって発生する浮力を抑えるため、身長によりスキー板の長さを制限するというルール改定がなされ、身長の低いアジア人の世界ランクが落ちたという事例を紹介。ただし、ルール改正の直後にオリンピックを制したスキー選手は身長が170cmと比較的低かったことも補足された。

特に様々な道具を用いるスポーツの世界においては、技術の発達とスポーツマンシップやモラルは常にせめぎ合っており、「その境界線は時によっては非常に恣意的に引かれることもある」。これはBMIなど分野でも同じだし、もちろん義足などの身体的なエンハンスメントでも似たような状況が生じている。

このようなエンハンスメントを倫理的な制約によって制限することはすごく難しい。ここで退席してしまったので議論の続きはわからないが、プロフェッショナルの定義を、技能的な制約と倫理的な制約の両方に接している人、とすると今日のテーマに帰結する。

「やって良いこと悪いことを自分の判断できるのがオトナだ」というごく当たり前の結論に達してしまうのだけれど、Bioinformatics や Augmented Human、 Brain Machine Interface など、最先端の話題を扱う研究者が、共通の問題意識を共有しているのが面白かった。

(追記)

本題とは関係ないが、音楽の研究をしている岡ノ谷教授から、絶対音感に関する面白い実験を紹介していただいた。ピアノの経験者に簡単な楽譜を読ませMIDIキーボードで弾いてもらう。実験群には5%の確率で鍵盤と対応しない音が鳴るMIDIキーボードを使ってもらう。実験群・統制群で脳波を比べると、統制群にはズレた音が鳴るときに反応する脳波パタンが検出された。

絶対音感保持者と非保持者で脳波パタンを比較すると、保持者は200ms ですでにパタンが見られるが、非保持者では 600ms 経たないと パタンが現れない。

さらに「1. 鍵盤を使わず、自動的に流れる音を聞くだけ」「2. 鍵盤を使わず、自動的に流れる音にあわせて机を指で叩いた時」「3. 実際に鍵盤を使った時」でパタンの強さを比較した時、1 < 2 < 3 の強さになった。特に 1 < 2 という結果から、身体でリズムを取ることは脳内の音響イメージの形成を容易にすることが示唆される。

ざっと検索した限りでは論文が見つからなかったので、あとで大学で調べてみる。