ぜんぶなんとかなる

ふしみの雑文

g91という現象と、高専confという制度についてメモ

91-confやg91のグループ、すごい良い試みだった (敢えて過去形) と思う。実際岡山の田舎にいたときから全国の面白い高校生たちと繋がれたし、それで人生変わった感すらある。と同時に、こんなオモシロ高校生たちが徒歩圏内で生活している東京の高校生を羨んだ。ネットの発達で隠れがちだけど、中高生にはまだまだ地域の格差は大きい。

でもお世話になっただけに、なんだか下の世代に引き継がれてないのがもったいないような気がする。いや、まあ実際に同じような仕組みが作られているのかもしれないけど、名前が名前だけに、こっちで培ったノウハウや仕組みや人の繋がりとかは全く引き継がれず、g96 (仮) はイチから用意する必要がある。そういう意味では残念ながら今のとこ、g91は仕組みではなく現象でしかない。

とはいえ永続的な仕組みには往々にして澱が溜まりがちなので、「5年ごとに解散作り直し」というのは無くは無いけど、にしても勿体ない。実際にこういうウネウネした集まりをいま必要としているのは、いま高校生くらいまでの子たちだと思うんだけども、いま、そういうコミュニティはどこにあるんだろうか。ないんだろうか。

その点、高専confとかは仕組みとして、よくできてると思うし、やっぱり学校というインフラを巻き込んだ仕組みを作ることはできたのは強い。ただ田舎の普通科高校では巻き込むの難しいし、どうしようかな、という話。

ただそもそも、すでにインターネットそのものが面白くて仕方がない時代は終わったし、g86はもうインターネットじゃない別のどこかで起こるんじゃないかという気もしてきたし、g91的制度がネット空間に永続して一期生がドヤるというのも気持ち悪いし、必要なのかは何かまだいま想像できてない。