ぜんぶなんとかなる

ふしみの雑文

プロフェッショナルとエンハンスメントの話

「プロフェッショナルとは何か」というテーマで、駒場に新設される統合自然科学科の教授と議論をする機会があったのでメモ。「統合自然科学科発足記念 サイエンス・カフェ」というイベントで、ケーキを食べながら新設学科の担当教員たちと話せるというもの (pdf)。来場者はだいたい30人くらいで、この議論は4人の教授全員が参加し、合間に学生からの質問や意見などをはさみながら進んでいった。

まず議論の最初に、スポーツ・音楽・知能について研究している各教授から、それぞれの研究の紹介があった後、石浦教授による「『プロフェッショナル』とは一般に『時間をかけて一つの物事に取り組んでいる人』という認識が形成されており、脳科学的に見ても神経回路の最適化が起こる時間のスパンは非常に長いためこの認識はおおむね正しい」という視点が提供された。

ここまでは非常にベーシックな議論だったのだが、石浦教授からゲノム解析や遺伝子治療の最先端について紹介されたのち、学生からの質問があって「遺伝子解析の結果分かった予測を元に治療を進められるのか」という話題になった。ぼけ防止の薬というのは、20代〜30代で進行している自然なぼけの進行をストップさせる可能性が高い。では、自分が比較的早期にボケると分かった人に、早期治療のための薬を渡してもいいのかどうか。

アメリカでは「リタリン」という薬が一般に入手できる。これはドーパミンを大量に放出する作用のある薬で、実際に試験の前に学生が服用するという事例がいくつかあるとのこと(広まっているのかどうかは不明)。ただし、脳内のドーパミン量は拮抗作用によって制御されているので、服用をやめるとドーパミンの生成が強く抑制される反動がある。

例えばコーヒーやレッドブルなど、食品のなかに自然に含まれている成分で自分を覚醒させるという試みは古くから行われている。こういった薬理作用を用いたエンハンスメントというのは、(一般には)拮抗作用の結果実現している平衡を崩すことになり、副作用が発生しやすい。コーヒーの飲み過ぎが良くないのと同様に、より強い作用を持つ薬は強い副作用がある可能性が高い。プロフェッショナルたる研究者高いモラルを持ってこれらを扱わなければならない、という話でいったんは落とし所がついた。

ここから学生から「ここまでの議論はエンハンスメントには副作用があるという前提で進んでいたが、エンハンスメントがない薬が発明された場合、それは人類の役に立つから広めるべきということになる」という指摘があった。

エンハンスメント一般の話に発展しそうだったので、一つの事例として、「義足をはめて走るパラリンピック選手が、オリンピックの参加標準記録を超える成果を出すことがある」という事例を紹介してみた (オスカー・ピストリウス)。では、そのパラリンピック選手は、オリンピックに出場しても良いのか? それでは、早く走りたいと技能を高めていたオリンピック選手が、生まれ持った足を捨てて義足を付けることを選ぶこともあるかもしれない。この場合はどうすればいいか?

義足は極端な例ではあるが、すでに自分の体を技術によって拡張するということは行われている。レーシックのように体の一部を傷つける手術も行われ、場合によっては生まれ持った視力よりも良い視力を得ることすらある。レーシックを受けた選手がオリンピックに出場するのは何ら問題がない、という暗黙の合意があり、実際に出場している選手もいるが、義足の場合はどうだろう。

さらに議論のフィールドは広がる。特に薬理的なエンハンスメントに限れば、スポーツにおけるドーピングはモラルに反するという合意がなされているが、ここで酒井教授から、チェスの大会で心臓の薬を服用していた選手がドーピング検査に引っかかるという事例が紹介された。身体的なスポーツだけではなく、マインドスポーツと呼ばれる分野でもすでに薬理的なエンハンスメントとモラルの問題が実際に発生している、ということだ。

スポーツ科学専攻の工藤教授からは、スキージャンプの競技でも、スキー板によって発生する浮力を抑えるため、身長によりスキー板の長さを制限するというルール改定がなされ、身長の低いアジア人の世界ランクが落ちたという事例を紹介。ただし、ルール改正の直後にオリンピックを制したスキー選手は身長が170cmと比較的低かったことも補足された。

特に様々な道具を用いるスポーツの世界においては、技術の発達とスポーツマンシップやモラルは常にせめぎ合っており、「その境界線は時によっては非常に恣意的に引かれることもある」。これはBMIなど分野でも同じだし、もちろん義足などの身体的なエンハンスメントでも似たような状況が生じている。

このようなエンハンスメントを倫理的な制約によって制限することはすごく難しい。ここで退席してしまったので議論の続きはわからないが、プロフェッショナルの定義を、技能的な制約と倫理的な制約の両方に接している人、とすると今日のテーマに帰結する。

「やって良いこと悪いことを自分の判断できるのがオトナだ」というごく当たり前の結論に達してしまうのだけれど、Bioinformatics や Augmented Human、 Brain Machine Interface など、最先端の話題を扱う研究者が、共通の問題意識を共有しているのが面白かった。

(追記)

本題とは関係ないが、音楽の研究をしている岡ノ谷教授から、絶対音感に関する面白い実験を紹介していただいた。ピアノの経験者に簡単な楽譜を読ませMIDIキーボードで弾いてもらう。実験群には5%の確率で鍵盤と対応しない音が鳴るMIDIキーボードを使ってもらう。実験群・統制群で脳波を比べると、統制群にはズレた音が鳴るときに反応する脳波パタンが検出された。

絶対音感保持者と非保持者で脳波パタンを比較すると、保持者は200ms ですでにパタンが見られるが、非保持者では 600ms 経たないと パタンが現れない。

さらに「1. 鍵盤を使わず、自動的に流れる音を聞くだけ」「2. 鍵盤を使わず、自動的に流れる音にあわせて机を指で叩いた時」「3. 実際に鍵盤を使った時」でパタンの強さを比較した時、1 < 2 < 3 の強さになった。特に 1 < 2 という結果から、身体でリズムを取ることは脳内の音響イメージの形成を容易にすることが示唆される。

ざっと検索した限りでは論文が見つからなかったので、あとで大学で調べてみる。