ぜんぶなんとかなる

ふしみの雑文

究める

1年前のつぶやきより。

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吹奏、ディベート、読書、勉強、どれも、それこそある程度やってみて気づいたことなんだけど。どれも、見た目や、やっていることそのものは違うけど、高みを目指す過程や、そこに自分を向かわせるときの精神は、そこまで変わらない。

自分自身は高校時代、どれも「極める」というほどのことはできなかったけど…東大という場所に、そういう「すごい人」が集まってくるのは、そのことを思い出したら少し納得した。

でも、そういう人たちでも、自分のことを「完璧」だと思っていないみたい。他の人からいくら完璧に見える人でも、自分自身について不満に思ってる。その人がすごくなれたのは、常にそのときの自分を不満に思って、どうしたらもっと良くなれるか、ということをずっと考えていたからかな、と思う。